なんとしちだいじとは? 読み方/意味/歴史
仏教を柱として日本の国つくりを行っていた
奈良時代、僧侶は官僧として国の安泰を祈祷し
仏教の教えを人々に伝える役割がありました。
当時その中心にあり平城京及びその周辺の
朝廷により保護/管理されていた七つの大寺
東大寺・興福寺・元興寺・大安寺
西大寺・薬師寺・法隆寺(唐招提寺)
を指します。
当時栄えた奈良仏教の6つの宗派
南都六宗の発展の中心となった大寺でもあります。
一般的に唐招提寺は朝廷の宮立寺ではない為
南都七大寺から外されますが
時代により斑鳩の法隆寺の代わりに
平城京内の唐招提寺が入れられる事も
あるようです。
また879年青和上皇が大和国名山巡礼に出たのを
きっかけに貴族の間で南都七大寺への巡拝が
流行った際、南都七大寺に加え
藤原氏と縁の深い法華寺・唐招提寺も巡拝コース
に加わったという歴史もあります。
南都六宗(なんとろくしゅう)
奈良時代、平城京を中心に栄えた
6つの仏教宗派の総称で奈良仏教ともいいます。
奈良仏教は鎮護国家を祈り国民と国家を守る目的
で始まりましたが、同時に海外から渡来してきた
仏教の教理を研究をする場所でもあり
今でいう宗派というより学派であった様ですね。
・三論宗(さんろんしゅう)
元興寺・大安寺
・成実宗(じょうじゅつしゅう)
元興寺・大安寺
・法相宗(ほっそうしゅう)
興福寺・薬師寺
・倶舎宗(くしゃしゅう)
東大寺・興福寺
・華厳宗(けごんしゅう)
東大寺
・律宗(りっしゅう)
唐招提寺
南都七大寺 覚え方!
南都七大寺の覚え方
色々あるようですが
この辺がシンプルで良いようです
① ”やはり東大が最高峰”
や(薬師寺)はり
東(東大寺)大(大安寺)が(元興寺)
最高峰(西大寺・興福寺・法隆寺)
② ”東大がやはり最高峰”
東(東大寺)大(大安寺)が(元興寺)
や(薬師寺)はり
最高峰(西大寺・興福寺・法隆寺)
③ ”東大は最高峰やがな”
東(東大寺)大(大安寺)は
最(西大寺)高(興福寺)峰(法隆寺)
や(薬師寺)が(元興寺)な!
地図と位置 一覧
東大寺(金光明四天王護国之寺)
聖武天皇・光明皇后がやっと授かった
幼い皇子を亡くし菩提の為に建てた
若草山麓の「山房」が後に金鍾山寺となり
741年の国分寺・国分尼寺建立の詔発令後
742年 金鍾山寺を大和金光明四天王護国之寺
に改められ大和国・国分寺になったのが
東大寺の起源とされています。
743年 紫香楽宮にて大仏建立の詔発令
745年 平城京で大仏の造立が始まり
747年 大仏鋳造が始まったころ
東大寺の寺号が使われたようです。
752年 大仏開眼(仏像完成)
~759年 大仏殿・講堂・東西両塔など造営
金堂(大仏殿)中門の外側
参道と鏡池を挟んで東・西に七重塔が建っていた
と言いますか、南大門・大仏だけでなく
全体的にスケールの大きい寺だった様ですね。
開基:聖武天皇
開山:良弁
宗派:華厳宗 大本山
住所:奈良市 雑司町406-1
興福寺(山階寺)
藤原鎌足夫人の鏡大王が夫の病気平癒を願い
669年に今の京都市山科区に建立した
山階寺(やまなしでら)が起源とされます。
672年 壬申の乱の後
都を近江宮から飛鳥浄御原宮に遷都の際
飛鳥に移し厩坂寺(うまさかでら)と改名。
710年 平城京遷都の際、鎌足の子不比等が
現在の地に移し興福寺と名付けました。
開基:藤原不比等
宗派:法相宗 大本山
住所:奈良市 登大路町48番地
元興寺-極楽坊(法興寺/飛鳥寺)
飛鳥時代・仏教推進派の蘇我氏が
厩戸王(聖徳太子)と共に
仏教を中心とした国創りを始めるにあたり
6世紀末~7世紀初頭に日本ではじめての
本格的な伽藍を有した仏寺として建立された
法興寺(飛鳥寺)が元興寺の起源とされてます。
当初は蘇我氏の氏寺として建立されましたが
国内の豪族に対しては蘇我氏の権力を示す為
海外(中国)からの使者に対しては
大和国の文化レベルを示す目的が
あったのではと推測されます。
平城遷都に伴い718年に現在の地に移築され
蘇我氏寺から宮大寺に変わり正式名も
法興寺から元興寺となりました。
開基:蘇我馬子
宗派:真言律宗
住所:奈良市 中院町11
大安寺(百済大寺)
617年? 聖徳太子建立の熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)
が起源とされています。
病床の太子を見舞った田村皇子(舒明天皇)
が太子より熊凝精舎を宮寺として造営し
「御世の天皇のため永く三宝を伝えてほしい」
との意向を受けて建てたのが百済大寺で
その後移転と改称を繰り返し平城遷都に伴い
716年 現在の地に移り大安寺となりました。
奈良時代~平安時代初頭は東大寺・興福寺
と並ぶ壮大な伽藍と東・西に七重塔を持つ大寺で
南大寺とも呼ばれていました。
創建:飛鳥時代 百済寺
本尊:十一面観音立像(秘仏)
開基:舒明天皇
宗派:高野山 真言宗
住所:奈良市 大安寺2-18-1
西大寺
孝謙天皇-淳仁天皇-弥徳天皇の時代は
藤原仲麻呂・橘奈良麻呂・大判古麻呂らによる
橘奈良麻呂の乱や藤原仲麻呂の乱など
政治の権力争いによるクーデターが頻発し
政情は不安定でした。
弥徳天皇(孝謙天皇)は
藤原仲麻呂の乱の平定と国の安泰と平和を願い
764年 金銅四天王像の造立を発願し
西大寺を建立しました。
当時は薬師金堂・弥勒金堂・四王堂・十一面堂
東西の五重塔など壮大な伽藍を持つ
東大寺と肩を並べる大寺であったようです。
開基:称徳天皇(孝謙上皇)
開山:常騰
宗派:真言律宗 総本山
住所:奈良市 西大寺芝町1-1-5
薬師寺
680年 天武天皇が皇后(持統天皇)の
病気平癒を願い飛鳥-藤原京に建立
したのが起源とされてます。
716年-718年平城遷都に伴い現在の地へ
移転しましたがその後平安時代の火災や
室町時代の兵火などで多くの伽藍を無くし
規模が縮小されましたが
1960年以降、当時の高田好胤管長の働きで
一般人への写経勧進により
1976年に金堂・1981年に西塔
2003年に中門・回廊・大講堂
2017年に食堂と再建され現在は
当時を思わせる大伽藍が再現されています。
飛鳥の薬師寺(本薬師寺)は平城京移転後も
平安時代中頃まで存続しており
現在は本薬師寺跡として痕跡を残しています。
開基:天武天皇
宗派:法相宗 大本山
住所:奈良市 西ノ京町457
法隆寺(斑鳩寺)
用明天皇が自身の病気平癒を祈り
寺を建立することを誓願されていましたが
実現されぬ間に崩御されます。
推古天皇と聖徳太子は用明天皇の意を受け
607年 大和の国斑鳩に建立したのが
斑鳩寺-法隆寺で
現在、西院の金堂・五重塔は
世界最古の木造建築として知られています。
開基:推古天皇・聖徳太子
宗派:聖徳宗 総本山
住所:奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
(唐招提寺)
742年 日本からの熱心な招きを受けた
唐僧・鑑真は日本への渡航を決意します。
しかし当時の渡航は大変困難で
753年 6回目の渡航でようやく日本へ
来ることが出来ました。
最初の5年は東大寺で過ごし
758年 大和上の称号を賜り
759年 新田部新王旧邸を朝廷から譲り受け
戒律の専修道場-唐律招提を建立したのが
唐招提寺の起源とされています。
開基:鑑真
宗派:律宗 総本山
住所:奈良市 五条町13-46