誉田八幡宮
創建:559年
主祭神:応神天皇(15代)
仲哀天皇(14代)・神功皇后(仲哀天皇の妃)
歴史・起源
古墳時代の15代天皇・応神天皇を祀った
日本最古の八幡宮とされており
大陸から仏教が伝わって来た大和朝廷の時代
欽明天皇によって創建され
誉田御陵山古墳(応神天皇陵)の南側に
隣接しています。
羽曳野のこの辺りは
応神天皇が幼少時に住んでいたところであり
また皇后・仲津姫はこの辺りを治めていた
誉田真若王(ほんだまわかのおう)
の娘であることからも
誉田八幡宮は羽曳野地域の
「氏神」「鎮守神」といえるでしょう。
八幡宮
八幡宮は八万神を祭神とする神社で
八幡神とは清和源氏の氏神で
武家から武運の神とされる
誉田別命(ほむたわけのみこと)
=応神天皇
が祀られている神社を言います。
*誉田別命は腕の肉が弓具の鞆(ほむた)
の様に盛り上がっていたことから
その名がついたとされています。
現在は大分県宇佐市の宇佐八幡宮が
総本宮ですが
大分県 宇佐八幡宮
京都府 石清水八幡宮
福岡県 筥崎宮 または
神奈川県 鶴岡八幡宮
が日本三大八幡宮とされています。
拝殿
<写真は2018年1月>
拝殿は1606年に豊臣秀頼により再建
その後徳川家光が改修
絵馬堂
姫待稲荷社(ひめまついなりしゃ)
恵比寿社(えびすしゃ)
手水社
南大門
南大門は旧長野山護国寺の南大門(江戸時代)
豊臣秀頼が再建、その後徳川家光が改修
古戦場跡
誉田八幡宮の付近は南北朝から室町・戦国の
各時代を経て江戸初期の元和年間にかけて
戦路上の要地であったため再三古戦場の舞台と
なったところである。
すなわち、南北朝初期の正平年間には
北朝側の細川兄弟の軍と楠木正行の間で
合戦が行われ、室町中期の享徳年間には
畠山政長と義就の間で再三にわたり
誉田合戦が行われた。
少し降って永正元年(1504年)には
前記の孫にあたる畠山タネナガと義英
との間で合戦の後で和議となり
誉田八幡宮「社前の盟約」が結ばれたのも
この境内であった。
大坂夏の陣の折には大坂方の武将
薄田隼人正もこの境内に大陣を置き
この地より出撃して道明寺近辺で
討死をとげたのである。
御朱印
¥300
春拝(2022年 新年の参拝)
拝観時間
6:00~19:00
拝観料
無料
住所・TEL
〒583-0857 大阪府羽曳野市誉田3-2-8
072-956-0635
アクセス
近鉄古市駅から徒歩10分
駐車場
無料駐車場あり