大安寺(百済大寺)
創建:639年 百済大寺
本尊:十一面観音立像(秘仏)
開基:舒明天皇
宗派:高野山 真言宗
起源
大安寺は聖徳太子が617年?
平群群額田部に建てた
熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)を起源とし
その後 百済大寺→高市大寺→大宮大寺と変遷し
飛鳥時代から天皇家の大寺(宮寺)としての
ポジションを担ってきた
日本最古のお寺の一つと言えるでしょう。
710年の平城遷都に伴なって
716年 現在の地に移り大安寺となりました。
大安寺とは
あらゆる大安楽を祈る「大安なる寺」という
意味で、奈良時代においては
四大寺の一つと言われるほど大きなお寺で
金堂・講堂を中心とし三面僧坊を有し
常時887人もの国内・遣唐留学僧と
海外・渡来僧が居住し共に仏教を学ぶ
仏教総合大学の様な場所でした。
南大門は平城京の朱雀門と同様の規模を持ち
また南大門の南には東大寺と同様に
東西に七重の塔を有していたほどで
南大寺とも呼ばれていました。
現在では当時の規模は見られませんが
奈良時代の仏像9体を安置し
「がん封じのお寺」として知られています。
*奈良時代の四大寺
大安寺・興福寺・元興寺・薬師寺
*平安時代の四大寺
東大寺・興福寺・延暦寺・園城寺
歴史
聖徳太子の病が重くなった頃、推古天皇は
田村皇子(後の舒明天皇)を太子の見舞いに
行かせますが、その際太子は
自分が建てた熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)を
後々の天皇の為の大寺(官寺-天皇の寺)とし
永く三宝(仏・法・僧)を伝えて欲しい
との遺言を残しました。
その遺言を受けた田村皇子は舒明天皇となった際
百済川のほとりに熊凝精舎を再建し
百済大寺としたのが大安寺の起源になりますが
この百済大寺は天皇家が威信をかけて造営した
最初の官立寺院になります。
*百済大寺の場所ははっきりしてませんが
奈良県桜井市の吉備池のあたりで広大な寺院跡が
発見されたことからその場所ではないかと推測
されており百済大寺は九重塔を有するほど
大きなお寺でした。
639年 百済大寺・大宮建立開始
(舒明天皇~皇極天皇~天智天皇)
673年 高市に移され高市大寺に移転
(天武天皇)
677年 大官大寺の寺号が与えられる
(だいかんだいじ-国家の寺の意味)
710年 平城遷都に伴い
716年 移設開始
*元興寺(法興寺・飛鳥寺)・興福寺(山階寺)
薬師寺・と共に平城京に移る。
738年 東西の七重塔を含め主要伽藍完成
みどころ
昔の大寺の面影はありませんが
聖徳太子遺願の日本最古で最初の国立寺院
(天皇立)の起源であり
ここで多くの国内・外の僧が集まり
仏教を学んでいた場所なんだな~
という事を想って訪れてください。
また奈良時代から伝わる木造彫刻の仏像も
この寺の古い歴史を感じさせます。
秘仏は特定の御開帳の時しか拝めませんが
その他7体の仏様は拝観できます。
・秘仏:十一面観音立像
(重要文化財)奈良時代
特別御開帳:10-11月
・秘仏:馬頭観音立像
(重要文化財)奈良時代
特別御開帳:3月
・聖観音立像(重要文化財)奈良時代
・不空羂索観音立像(重要文化財)奈良時代
・楊柳観音立像(重要文化財)奈良時代
・四天王立像(重要文化財)奈良時代
大安寺は国家の官立寺院であったことから
国家安泰と人々の健康と幸せを祈る役割を担い
過去においては人々の命を奪う難病・疫病を
封じる祈りの場であり
現在でも難病の最たる「がんを封じる寺」
として引き継がれており
私自身も癌・闘病中の知人に
「癌封じのお守り」を送っています。
1月23日 光仁会(癌封じ笹酒祭り)
6月23日 竹供養(癌封じ夏祭り)
癌封じの祈祷と癌封じの笹酒を頂けます。
御朱印
本堂西側の寺務所で頂けます ¥300
・南無仏
・虚空蔵尊 大和十三
・十一面観音 八十八面観音巡礼
・太子遺願之大寺 聖徳太子御遺跡
・馬頭観音 大和北部八十八ヵ所(第二番)
・南無佛 神仏霊場会
・南無仏 大和北部八十八ヵ所(第一番)
拝観時間
9:00~17:00(受付は16:00まで)
本堂拝観料
大人 ¥400
高校生 ¥300
中学生 ¥200
小学生 ¥100
住所・TEL
〒630-8133 奈良県 奈良市 大安寺2丁目18-1
0742-61-6321
アクセス
JR 奈良・近鉄奈良駅より
大安寺行・シャープ前行・白土町行 バス
大安寺バス停下車 徒歩10分
駐車場
・無料駐車場あり
>すぐわかる南都七大寺・南都六宗とは?