南都七大寺 起源の古い順
奈良を代表する大寺
南都七大寺(なんとしちだいじ)+ 唐招提寺
起源の古い順に並べてみました。
① 596年 法興寺/飛鳥寺(飛鳥時代)
→ 718年 元興寺(奈良時代)
蘇我馬子が日本初の本格寺院として建立
仏教を柱とした国創りを始める為/
蘇我氏の権力明示と隋に対し倭国の文化・技術
を示す為と推測される。
② 607年 法隆寺/斑鳩寺(飛鳥時代)
推古天皇・聖徳太子 が生前の用明天皇の願い
であった寺院建立と薬師像安置の為建立
③ 617年 熊凝精舎(飛鳥時代)
→ 639年 百済大寺(飛鳥時代)
→ 673年 高市大寺(飛鳥時代)
→ 677年 大宮大寺(飛鳥時代)
→ 716年 大安寺(奈良時代)
舒明天皇(田村皇子)が病床の太子を見舞った際
聖徳太子が釈尊の祇園精舎に倣って仏教を学ぶ為
に建てた熊凝精舎を宮寺として造営し
「御世の天皇のため永く三宝を伝えてほしい」
との意向を受けて(百済大寺を)建立
④ 669年 山階寺(飛鳥時代)
→ 672年 厩坂寺(飛鳥時代)
→ 710年 興福寺(奈良時代)
中臣鎌足の夫人 鏡王女が夫の病気平癒を願い建立し
藤原不比等が平城京に移築
⑤ 680年 薬師寺(飛鳥時代)
→ 716年 薬師寺(奈良時代)現在の地
天武天皇(大海人皇子) が皇后(持統天皇)の
病気平癒を願い建立
⑥ 728年 金鍾山寺(奈良時代)
→ 741年 大和金光明四天王護国之寺(奈良時代)
→(747年)東大寺(奈良時代)
聖武天皇・光明皇后が幼くして亡くした皇子の
菩提の為金鍾山寺を建立
後に国家安泰と疫病収束を祈願し東大寺とする
⑦ 759年 唐律招提(奈良時代)
→ 後に 唐招提寺(奈良時代)
鑑真が新田部親王宮廷跡を朝廷より譲り受け
「唐の律を学ぶ道場」として開く
⑧ 765年 西大寺(奈良時代)
称徳天皇(孝謙天皇)が国家安泰と
藤原仲麻呂の乱平定を願い建立
① 元興寺
② 法隆寺
③ 大安寺
④ 興福寺
⑤ 薬師寺
⑥ 東大寺
⑦ 唐招提寺
⑧ 西大寺
の順となります。
奈良時代初期に
興福寺・大安寺・薬師寺・元興寺など
飛鳥時代・藤原京にあった大寺を移築
奈良時代中期以降に
東大寺・西大寺が建立された
という順ですね。
四大寺(しだいじ)
朝廷の祈願所として格の高い4つの寺院
飛鳥時代の4大寺は
大宮大寺(大安寺)・薬師寺
飛鳥寺(元興寺)・川原寺(弘福寺)
奈良時代の4大寺は
大宮大寺(大安寺)・薬師寺
元興寺・興福寺
平安時代の4大寺は
東大寺・興福寺
延暦寺・園城寺(三井寺)
と言われています。