元興寺 歴史・みどころ~御朱印

 

元興寺-極楽坊(法興寺/飛鳥寺)世界遺産

創建:596年 法興寺/飛鳥寺

本尊:智光曼荼羅

開基:蘇我馬子

宗派:真言律宗

 

起源

飛鳥時代・仏教推進派の蘇我氏が

厩戸王(聖徳太子)と共に

仏教の教えを軸に国創りを始めるにあたり

6世紀末~7世紀初頭に日本で初めて

本格的な伽藍を有した仏寺として建立された

法興寺(現-飛鳥寺)が元興寺の起源

日本最古で最初の寺です。

 

歴史

6世紀末

仏教推進派で大陸文化を積極的に取り入れていた

革新派豪族の蘇我氏

日本古来の神道を守り大陸文化を拒否する

保守派で古来からの武闘派豪族物部氏

朝廷における権力争いで対立していました。

敏達天皇の時代、蘇我氏・物部氏はそれぞれ

蘇我馬子物部守屋の代となります。

敏達天皇は廃仏派でしたが

蘇我氏に仏教の信仰を許していました。

 

ちょうどこの頃疫病が流行り出し

その原因を仏教信仰の為とする物部守屋は

仏教の信仰をやめるよう天皇に進言します。

天皇はこれを受け仏法廃止の詔を出しますが

これに乗じた物部守屋は兵を集め

蘇我馬子の屋敷にある仏殿を焼き払い仏塔を壊し

仏像を難波の川に捨て更には3人の尼を連れ去り

海石榴市(奈良県桜井市)にて民衆の前で

鞭打ちの刑にするという乱暴な行為に及びます。

 

しかし疫病の流行は一向に収まらず

むしろ益々拡大して行くばかりで

今度は蘇我馬子が

疫病が広がったのは物部守屋が

仏教を疎かにしたからであると言い

民衆からも支持を集めたことから敏達天皇も

再び仏教信仰を認めざるを得なくなります。

 

敏達天皇が亡くなり用明天皇の代になると

蘇我稲目の娘・堅塩媛(きたしひめ)

を母にもつ用明天皇(聖徳太子の父)は崇仏派で

あったため馬子は朝廷内での権力を増しますが

用明天皇は天然痘により2年で亡くなります。

 

蘇我氏に近かった用明天皇が亡くなると

守屋は以前から関係を深めていた欽明天皇の子

穴穂部皇子(あなほべのおうじ)を担ぎ

次の皇位継承候補に挙げてきますが

それを阻止すべく蘇我馬子は用明天皇の妹で

敏達天皇の后である炊屋姫(かしきやひめ)

後の推古天皇の意を得て穴穂部皇子を討ち

これにより物部守屋と蘇我馬子の戦が勃発

この時14歳の厩戸皇子(うまやどのおうじ)

後の聖徳太子は仏教推進派として馬子につき

苦戦の末、物部守屋を滅ぼします。

 

物部氏を排除した蘇我馬子は崇峻天皇

皇位継承させ、自らが実権を握りつつ

本格的に仏教信仰の推進を図るため

蘇我氏の氏寺として法興寺を建立をはじめます。

 

形だけの天皇の座を不服とし

馬子を敵視するようになった崇峻天皇は

後に馬子に暗殺されてしまいますが

592年 馬子は次の天皇の座に推古天皇を立て

実権を握りながらも摂政の聖徳太子と共に

大陸の文化・政治を取り入れ仏教を柱とした

新しい国づくりに協力します。

 

*ちなみに聖徳太子は蘇我馬子の

甥の子であり娘婿にあたります。

 

 

法興寺は

中門と東・西・北の3金堂が塔を囲む

日本で初めての本格的な寺院で

国内の豪族に対しては蘇我氏の権力を示す為

唐(中国)をはじめ外国からの使者に対しては

大和朝廷が中国と同等の文化と技術レベルを

持った国家であることを示す目的が

あったのではと推測されます。

 

710年 平城遷都に伴い当時飛鳥の地にあった

大官寺(大安寺)・厩坂寺(興福寺)・薬師寺

と共に平城京に移りますが

法興寺は718年 蘇我氏寺から宮大寺に変わり

現在の地に移り元興寺となりました。

奈良時代の元興寺は興福寺のすぐ南にある

猿沢の池から南側

現在のならまちのほぼ全域であったようで

現在は元興寺(極楽坊)の他

元興寺本堂跡・元興寺小塔院跡

元興寺地蔵塔・元興寺塔跡

などがならまち内に散見されます。

 

 

みどころ

現在は当時の大寺院の面影はありませんが

起源をさ遡ると上記の様な深い歴史を持つ

聖徳太子が摂政として

日本の国創りを始めた頃に建てられた

最初で最古の寺であることを想いつつ

拝観し、ならまちを散策してみてください。

 

前身の法興寺建立の時

百済の王から仏舎利をはじめ僧・寺工・瓦博士・

画工などが派遣されましたが

その時創られた日本初の瓦

現在の極楽堂・禅室の屋根に今も残っています!

 

また、7月上旬~8月上旬にかけては

境内南の石仏の間に植えられた

1000株の桔梗が楽しめます。

 

 

御朱印

各¥300

・智光曼荼羅(ちこうまんだら)

・瑠璃光 西国薬師四十九霊場5番

・ご詠歌 西国薬師四十九霊場5番

・理趣大師 大和北部八十八ヵ所霊場9番

・阿弥陀如来 大和北部八十八ヵ所霊場9番

・印相地蔵 大和地蔵十福霊場

・南無上宮太子 ぼさつの寺めぐり

・如意輪観音

・聖徳太子

 

拝観時間

9:00~17:00(入門は16:30まで)

 

入堂・拝観料

大人   ¥500

中学・高校生 ¥300

小学生 ¥100

 

住所・TEL

住所:奈良市 中院町11番地

TEL:07432-23-1377

 

アクセス

近鉄奈良駅から

徒歩>15分

バス>福智院町下車 徒歩5分

JR 奈良駅から

徒歩>20分

バス>田中町下車 徒歩5分

 

 

駐車場

東門無料駐車場あり(10台)

*8月22日~25日(午前中)・2月2日~3日

は利用不可

 

 

>すぐわかる南都七大寺・南都六宗とは?

 

 

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